この人の言葉を、一言一句、聞き漏らすまい。
初回の講義を受けた時、全神経を集中させて先生の言葉に耳を傾けた。
そんな風に思える人に出会えることは、人生においてそれほど多くはない。
立花先生の著作は、沢山ある。
自分はゼミ生だったから、普通の人よりも先生の著作を多く読んでいると思う。
でも正直なところ、先生の本は、むずかしい。
文章や本を読み慣れている人であっても、あまりにも先生が深くしつこく(いい意味で)探究心を持って取材をしたり、調査をしたりしているために、読者がそのペースに追いつくことができず「ちょっと待って、休憩させて」と言いたくなるのだ。
私にとって、先生の本を読むことは、体力を必要とすることで、読み手にもそれなりの覚悟が求められているような気がしてならない。
著作や映像などに、先生の言葉や姿は収められているが、
実際の大学の講義は、いわゆる「ノーカット」なので、全然違う。
アーティストの楽曲を聴いたり、CDを買ったりする人が、ライブやコンサートは全然違うよ!と言うのと同じで、先生の講義も、ライブのそれは、もう、受けた人にしかわからない、アドレナリンが放出されまくりの、毎回スタンディングオベーションが起こりなそうな、そんな授業だったのだ。
初回の授業に参加したあと、この人の言葉を、できるだけ近くで、聴けるだけ聴いておきたい、自分の血肉にしたいという思いで、ゼミ生になった。
著作や映像には残されていない、生の先生の姿について、ここに書き記しておく。
先生の授業を受けたのは、今から11年前。私がまだ19歳の大学一年生の頃。
立教大学には、「全学共通カリキュラム(略して全カリ)」と呼ばれる枠がある。
学部を限定せずに受講ができる、いわゆる一般教養の授業である。
当時、立花先生のことは「この人確か有名なジャーナリストだよな」と言うぐらいの認知で、おそらく私と同じような気持ちで授業を覗きにきた学生は多かったと思う。
初回の授業の印象はとても強いものだった。
立花先生は、複数のアシスタントとともに、小さなスーツケース(資料が沢山詰められている)を引きずりながら教室に入ってきた。周りにいるアシスタントの年齢層は幅広く、院生のように見える少し年上のお兄さんぐらいの人から、自分の祖父母と同じぐらいの年齢の人までおり、皆が甲斐甲斐しく、立花先生の周りで授業の準備をしていた。
先生はおもむろに「E=mc2」と黒板に字を書き、「みんな、これは知っているよね?」と話し始めた。
この人は一体何を話し出すのか?先生が次から次へと話す言葉がなんなのか、気になってしょうがない。ワクワクドキドキと言うのは、こういう感情を言うのだ。
アインシュタインの公式を解説する話だったのだが、こんなにもわかりやすく説明をすることができるのだろうか!と驚いた。
本当に頭の良い人は、難しい言葉を使わなくても、難しいことを説明できるのだ・・。と気づいた瞬間だった。(同じように再現しろと言われても、できない。ライブ講義で、あれは先生にしかできない解説だったのだから!)
「わかる」と言うのは、「ストンと腹落ちする」と言うことです。と先生はニコニコ笑っていた。その言葉の通り、自分の体内で本当に何かが「ストン」と落ちたのを感じた。
90分に渡る講義は、あっという間だった。
あの時、同じような気持ちになった学生が、沢山いたと思う。教室全体が一体となって、先生の話に聞き入っていたのが空気でわかった。
初回の講義とは別にもう一つ、印象に残っている授業がある。
「書店を巡回し、本を手に取り、購入するまでの流れをレポートにまとめる。なぜその本を手に取ったのか、巡回している時に目につくものがあれば、なぜそれが目についたのかまで詳細に記録する」という課題を提出するものだった。
課題提出における、教授からのフィードバック形式は様々で、五段階評価を付けられたり、個別に返却されたりするが、立花先生の講義では、先生が学生のレポートに直接赤入れをしたものが、教室のプロジェクターで投影されたのである。
それも、良い評価のレポートだけではなく、良くない評価のレポートもなのだ。
自分の書いたレポートが数百人の学生の目の前に晒され、「ここの書き方はイマイチですね」などと評価されるのである。まさに「公開処刑」なのだ。
良い評価の場合、大勢の前で褒められるというのは、気分が良いもので、次回も良いものを仕上げようというモチベーションにつながっていく。
逆に、改善点を指摘された場合、恥ずかしさがまず先に来るのだが、改善点を直して次は指摘されないようにしようと前向きに捉えられる学生と、卑屈になったり、羞恥心に耐えられなくなったりして、授業に来なくなってしまう学生がいる。
最終的には、度重なる公開処刑を耐え抜いた学生たちが残り、提出されるレポートの質は上がっていった。
驚くべきは、これが数人〜数十人から構成されるゼミなどではなく、数百人はいる授業だったことである。先生は立教大学の講義だけではなく、執筆活動なども沢山抱えていたにもかかわらず、数百人のレポート全てに目を通し、赤入れを行っていたのだ。
いったい、いつ寝ているのだろう・・と皆疑問に思っていた。
また、舞台裏の話も少し。
小石川にある立花先生のオフィス(通称:猫ビル)に伺い、先生自身に取材をさせてもらう機会があった。取材の最後に差し掛かり、「これから社会に出ていく若者や学生に望むことは何でしょうか」と私が尋ねた際に、先生は黙ってしまったのだ。
怒らせてしまっただろうかとヤキモキしてしまい、何か言葉を発すべきか悩んだが、沈黙のまま数分待った。沈黙ののち、先生は「失敗をすることです…」と話し始めてくれた。
数分間の間、先生はずっと考えていたのだ。あの時、途中で口を挟まなくて良かったと、取材終わりに安堵したものだった。
(21時に近くなった時、そろそろニュースが始まるので、失礼するよ と言って先生は立ち上がり、TVを見にいってしまった。)
少々長くなってしまったが、私の記憶にある、先生の生の姿を書き記させていただいた。
(先生が読んだら、「ここは読みにくいですね」とバッサリ赤入れされてしまうかもしれない)
立花先生は、学生と真摯に向き合ってくれる、優しくて偉大な先生だった。
自分の血肉となった、先生との大事な思い出をしっかりと胸に抱え、これからも前を向いて生きていこうと思う。